静岡の弁護士の若狹です。
「のだめカンタービレ」の二ノ宮知子先生がこんなツイートをされていました。
ふふふ。地味に色々、変わっているのですよ。 https://t.co/f0uDHkNyYU
— 二ノ宮知子🧨 (@nino0120444) February 23, 2022
手元にKindle版は全巻揃っているものの、さすがに何巻のどの場面かまではパッと出てこないですが、「スケベだけども世界的な巨匠指揮者のシュトレーゼマンさんが主人公ののだめさんにセクハラをかまして殴られる」というシーンですね。
二ノ宮先生は「久々に見たら、自分が引いたので、ちょっと直しましたよ。今のわたしの感覚で同等かな。」「私の中にも色々な時代があるようです😂」と補足していましたが、こんな感覚こそ大事だなーと思いました。
たしかに、連載当時(2001〜2010年)もアウトはアウトな行為なのですが、今のように、“(巨匠であっても)こんなことしたら職を追われて刑事民事の両面できっちり責任取らされる”、“フィクション上のキャラの振る舞いとしてもめちゃくちゃアウトで引いちゃう(次コマの「ぎゃぼー!!バキイドゴー」ではフォローしきれていない)”という時代の空気感まではなかったように思います。私が男性でなおかつまだまだ子供だったので問題意識に欠けてただけなのかもしれませんが。
ほんの少しずつかもですが、この点については世の中は前に進んでいるのかなと。
このように、ほんの十数年というスパンでも、世の中の空気感は確実に変わります。
私が弁護士になる約30年前、裁判官の男性教官の複数が(!!)、女性の司法修習生に対し、「判検事や弁護士になろうなんて思わないで、修習で得た能力を家庭に入ってくさらせて子供のために使えば、ここにいる男の人よりもっと優秀な子供ができるでしょう」「研修所を出ても裁判官や弁護士などになることは考えないで、研修所にいる間はおとなしくしていて家庭に入って良い妻になるほうがいい」などと発言し、国会で問題になったことがあるそうです(※発言内容の一部に争いあり)。
世の中を後戻りさせないため、過去に生きていた人の野蛮な言動の断罪はそれはそれでやらなきゃならないですが、同時に、その断罪の刃が30年後から現代の無自覚な自分に飛んでくる覚悟と恐怖も持っていなきゃいけないなと考えます。
昔の司法研修所教官の裁判官のように、今、無自覚に「普通」の感覚のつもりだったとしても、30年後、「令和の初期頃の世の中ってこんなに野蛮な価値観だったんだ…ドン引き…」と言われることはきっとあると思います。
自分も生きていれば70歳くらいなので、そんなときにうっかり誰かを傷つけたりしないようこれまでの過ちの歴史を他山の石として日々アップデートをしていきたいものです。
ちなみに、「セクハラやパワハラって相手にハラスメントと思われちゃったらハラスメントになっちゃうんでしょー?こわい世の中だねえ」という誤解をされている方がときどきいらっしゃいますが、“それくらいの心づもりで周囲の人に気を遣いましょう”という話が一人歩きをしただけと思われます。
セクハラもパワハラもマタハラも、司法と行政が積み重ねてきた該当性判断のガイドライン・基準はしっかりありますのでその点はご注意ください。
(ハラスメントのガイドライン・基準の話をし出すと記事が長大になってしまうのでまた別の機会に)